2011年5月

東日本大震災 災害ボランティア報告書

2011年05月26日 (木)

宮城県石巻市
平成23年5月13日(金)~15日(日)
ボーイスカウト東京連盟世田谷第3団
ベンチャースカウト隊副長 安田明


平成23年5月13日(金)~15日(日)にて日本連盟ボランティア定期便バスに乗車して、東日本大震災の被災地である宮城県石巻市へ災害ボランティアに行ってまいりました。
地図や写真等の資料も含めたフルバージョンを見たい方は、HIROBAをご参照下さ
い。

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○きっかけ(私の思い)
一人のボーイスカウトとして被災者・被災地への何らかの支援をしたいと思うのは、スカウトなら誰でも全員の共通の意識だと思います。東日本大震災発生から、私も何か自分のできることをしたいとは思っておりました。しかし、震災の発生により、私の会社の3月後半の売上は対前年比5%(95%減)と言う通常ではあり得ないような落ち込みとなり、先行きの見通しが全く見えない危機的な状況となりました。そのような状況の中では当初身動きも取れませんでしたが、幸いにも銀行の支援も頂き、また4月後半からは少しずつ業績の回復もあり、なんとか当面の不安もなくなってまいりました。業績回復といってもまだまだ通常よりも仕事量も少ないので、仕事に余裕のあるうちにボランティア行こうと思い、今回日連のボランティアに参加させて頂きました。
今回私は、ボーイスカウトとしては世田谷第3団のそして世田谷地区の代表として行ったつもりです。また社会人としても、自分の会社の代表として社会に対する恩返しのつもりで、ボランティアに行かせて頂きました。

○日本連盟の震災対応について
東日本大震災発生翌日の3/12より情報が発信されています。3/14には理事長メッセージ、その後義援金・募金などについての情報が掲載されました。
3/22に現地ボランティア募集(登録カードの受付)が始まり、3/30から現地ボランティアの第一弾として塩釜市及び周辺のボランティアが開始されました。塩釜市終了後4/6からは石巻市のボランティアセンター(石巻専修大学)内に拠点をおき、石巻市及びその周辺のボランティアが開始されました。その後石巻野球場(水押球場)へボーイスカウト活動ベースは移転しております。4/29からはGW中とその後6月第一週(金~日)までの間で2泊3日の行程で計6便のボランティア定期便バスが東京(新日連ビル)と石巻の間を走り、ボランティアへの参加をしやすくしております。ボランティア登録者は全国から300名程、5/11で日本連盟災害支援センターから災害ボランティアにいかれたのは連続40日、のべ1,000名を超えた、とのことです。
以上日連HPやブログより抜粋・要約して転載

○石巻市及び石巻市の被災状況について
石巻市(いしのまきし)は、宮城県東部に位置する県内第二の人口を擁する市。人口約163,000人、61,000世帯。仙台から東北東に約50Km、車(高速道路)やJR仙石線(震災後不通)で1時間強の距離に位置する。全国でも有数の水産都市であり、農林・水産・商工業のバランスの取れた都市です。
3月11日の震災による被害としては、広い範囲で津波に襲われています。死亡・行方不明者の合計が約5,700人、住宅約28,000棟全壊と一つの行政単位としては、他と比較にならない程大きな被害を被っています。(他に死亡・行方不明者の合計人数の多い自治体としては、陸前高田市が約2,200人、東松島市約1,770人、大槌町約1,710人、気仙沼市約1,540人などがあげられますが、石巻の人数が格別に多い。)
以上石巻市HP、Wikipedia、5/15朝日新聞より抜粋・要約して転載

○行動記録
5/13(金)
7:40 集合地の新日連ビルに到着。(8:00集合であった)
8:15 新日連ビルをバスが出発。バス乗車は20名弱。
15:00 途中2回の休憩を挟み、日連石巻ボランティア活動ベースに到着。
・上河内と国見の二つのサービスエリアで休憩をしましたが、建設重機を積んだトレーラーや大量の地元県警以外の警察車両(機動隊バスやパトカー)がいて、全国から被災地を応援しているのだということが強く意識されました。
・福島県に入ってしばらくした須賀川市あたりより、屋根にブルーシートがかけてある住宅が見え始めるものの、それ以外は揺れにより倒壊したような建物は今回の被災地訪問中は一度も見ませんでした。但し、道路については大きな歪みもずいぶんあるようで、高速道路でもその後の一般道路でもバスが大きく跳ね上がるような所が何箇所もありました。
・仙台東部有料道路に入ったあたり(仙台市若林区あたり)では、高速道路の右側全面が津波に押し流された形跡が見られました。
・石巻河南ICで高速を降り、日連ベースまでの間の石巻市内では大きな被害状況は見られません。しかし、日連ベースの辺りも津波で1m位は水につかっているとのことです。
日連ベースに到着後は、オリエンテーション 夕食(野菜たっぷりのインスタントラーメン)のみで、5/13は特に活動をしていません。
・日連の活動ベースは旧北上川沿いの水押野球場の敷地の端。巨大なマーキーが本部となっています。グラウンド内では仮設住宅の建設が始まっていました。
・オリエンテーションでは班分けがされ、翌日の装備や作業に関する注意をうかがいました。生活班長はバス乗車の名簿順に適当に選んでいるようですが、作業班長は既に現地ボランティア作業を2週間以上もやられているような方がつかれ、安心して作業に向えます。
・バスで参加者は、日連マーキー裏のエコテントに3人ずつ宿泊。個人参加者はマーキー内のベッドで宿泊です。
22:00 消灯
・この日は作業を何もしていないにもかかわらず、長時間のバス乗車や津波の跡を見た気疲れか消灯後すぐに眠っていました。しかし、強風によるテントのバタつき音がうるさく、またかなり寒く、夜中には数回目を覚ましました。
5/14(土)
6:30 朝食(ごはん+レトルト 納豆入り味噌汁)、昼のおにぎり作り各自作業準備、後に機材準備して日連ワゴン車に積込
・服装は水害ボランティアマニュアルにあるよう、長袖シャツの上に雨具、長靴、ゴム手袋、ヘルメット、ゴーグル、マスクと完全防備です。
・全体の機材としては、角スコップ、ペール缶、土嚢袋、一輪車(ネコ車)、バール、のこぎり、ほうき、ちりとり、デッキブラシ、ブルーシート等を班長が作業内容により必要数量を選定して、車に積み込みました。
7:50 集合 作業にあたっての注意事項、体操などのあとバスに移動
・作業班はバスで来た人だけでなく、個人で参加している人も一緒になり、10名弱の班が3個班編成となりました。
9:00 女川街道沿いの石巻市八幡町でバス下車。そこから徒歩5分程の不動町のS様宅で作業開始(1班、3班合同、計17~8人位)
・この辺りは1階全部が水没した地帯とのこと。八幡町の交差点ではまだ信号が点いていずに、兵庫県警の警察官が手信号で誘導しています。電柱が根元から折れ倒れていたり、街灯の鉄の柱がグニャリとを大きく曲がっていたりします。建造物については、見た目が全く被害を受けていない家もあれば、その隣の家は土台を残すだけで完全倒壊、またその隣は1階部分が大きく壊れているといった具合。隣接していても被害状況に大きく差があります。恐らくわずかな水の流れの違いで建造物に対する影響に差が出ているのであろうと推測します。
・また、決して耐えられない程ではありませんが、独特の臭気があります。海水に含まれた微生物が腐敗して発生しているとのこと、漁港のにおいを強くしたような感じのにおいでした。
・S様宅での作業としては、まずガレージ内の泥の掃きだし、水流しの後、ガレージ内にブルーシートを敷き、母屋より箪笥やピアノ等の家具移動。母屋の8畳間・6畳間の二間の床板をはがし床下に10cm程たまったヘドロをかき出して、土嚢に詰め、道路脇の土嚢溜めへネコ車で運搬。また一部の者は、ガレージ内にあった泥につかった物を洗ったり、窓拭きの手伝いや、家の中の家具の移動もおこないました。全般的には、とにかく力作業です。昼間の気温はそれなりに高く、汗はかなり出ます。1時間おきに休憩して水分補給をしました。
・このS様宅は、既に水道も復旧。一度他のボランティアが作業をした継続案件であり、またお住まいの方々でかなり努力をされて環境整備をしているようで、班長の話では、今までで一番ましな(きれいな)現場であるとのことでした。奥様・中学生のご子息・おばあ様も我々と一緒に一生懸命働いていて、非常に好感が持てました。最後にはアイスの差し入れまで頂きました。
13:30 S様宅の床下泥かきにも目処もたち、私含む5人が2班が芝生作業の後に作業中の別現場に移動。今度は、石屋さん裏の広場端の低い仕切り塀の所や排水溝にたまっていた津波で流された大量の汚泥の処理を行いました。
・S様宅の床下のヘドロは、純粋に泥だけでしたが、今度は流されてきた様々な物が含まれています。木屑やガラス片・プラスチック片が多く、それらのうち大きな物はより分けながら泥を土嚢につめていきます。また、目覚まし時計、電話の子機、文庫本、企業の伝票つづりといった生活のにおいのある物も泥から出てきます。そしてかなり多くの写真や実印と思われる判子、名前入りの生徒手帳が見つかりました。写真等に関しては、まとめて袋に入れましたのでボランティアセンターに届けて頂いたはずです。
・また我々が作業しているすぐ横で、小学校高学年位の子供達4~5人で野球をしていました。被災地でも元気に遊ぶ子供達の姿が見られたことは、少し嬉しく感じました。
14:30 作業終了
・終了予定時間より少し早く排水溝の中の泥も出し終わり仕切り部分も平にならせ元の地面が見えてきたので、作業を終了し帰り支度を始めました。どろどろになるはずだった雨具は現場環境が良かったためほとんど汚れずにすみ、その場でたたむこともできました。雨具の内側は話に聞いていた通り、パンツまで汗でびっしょり。しかし涼しい風にあたっているうちに乾き、そのままバスに乗車することもできました。
15:20 バス乗車、途中大きな被害を受けている湊町(女川街道沿い)や魚町(水産加工工場や商業施設などが立ち並んだ一帯)を通り、日連石巻ベースに帰る。
・湊町では道路が冠水していました。地盤沈下により、満潮時には海水があふれてくるとのこと。また、がれきに混じり、津波に流された車も多数見かける。報道写真やテレビで見ていたように流された車が積み重なり、また厚い鉄板でできている車がまるで紙製のようにへしゃげているのを目の当たりにする。
・魚町は、漁港からすぐであり津波の影響は大きかったのでしょう。鉄筋コンクリート造りの大きな工場や商業施設のため比較的建屋そのものは残っていましたが、どの建物も壁面が大きく破壊されています。
・日連ベースに戻った後、機材の泥を洗い流して、機材庫のマーキーに収納して、解散。休養時間となりました。
18:00 夕食予定であったが、先に全体ミーティングに変更。その後夕食(水炊きとモツ鍋)。
・食事の準備を含む生活については、長く滞在している班長を中心にうまく自活しています。生活班から出た食当数名を班長のうち1名が指揮して毎回食事を作り上げました。
・本日の食事にあたっては粋なはからいがあった。前夜はアルコールは全く飲まずに就寝であったが、1日お疲れ様の意味もあり、実費負担で若干のアルコールを頂く。日連事務局からは、飲酒は全体ミーティングが終わってからとのお達しであったが、班長方のとりはからいによって、食事前に班長会議・続いて全体ミーティングを行い、少し遅く始めた夕食時にはアルコールが解禁に。全国から集まってきている人達と年齢関係なく、良い交流ができました。消灯時間の22:00をきちんと厳守するように夕食を終わらせたのは、さすがスカウトの集まりです。
22:00 消灯
5/15(日)
6:15 朝食(パン 前夜の水炊きをベースとしたスープ)、昼のおにぎり作り各自作業準備、後に機材準備して日連ワゴン車に積込
7:50 集合 作業内容の確認
・本日の作業現場は、今までどこのボランティアも手をつけていない初めてのお宅とのことで、作業は大変であろうとの説明が班長よりされました。
・定期便バス組みは東京へ帰る日です。日連ベースには寄らずに現場から直接帰路につくとのことで、全員荷物をまとめてバスに積込みました。
・私は帰路のバスには乗らずに列車で帰京予定でした。私を含む6名程は、日連ベースに残り当日予定されている地元石巻6団の備品整理のお手伝いとなりました。
9:50 石巻6団の方5~6名来られ、津波で汚れた備品を一緒に洗う。
・野球場のトイレ横の水が出るところで、津波で汚れた備品を洗いました。泥とともに紙のようなものがかなり付着しています。海沿いの日本製紙の工場から流れてきた紙のクズだと言うことです。
・洗い終わったあと、球場の観客席に備品やシートを干し、早めの昼の食事をごちそうになりながら、石巻6団の団委員長(石巻地区の地区委員長)より被災の状況なども伺うことができました。この日も風は強く、昼食が済んだ頃には完全に乾き、シートなどもたたんでトラックに積み込み12:00には作業終了しました。
12:10 日連ベースを出発。石巻駅からバスで仙台に出て、仙台より新幹線で帰京。
・この日に帰られる長野県連の方の車に乗せて頂き、少し南の方被災状況を見てから石巻駅まで送って頂く。駅近くの商店街も津波の被害が大きかったのでしょうか、多くの店のシャッターが閉まっています。石巻駅で車から降りたとたんに、例のにおいが強烈に鼻に感じられます。
・JR仙石線は、津波の影響で不通となっています。石巻から仙台までは高速路線バスに乗車する。ほぼ定刻の13時数分過ぎにバスは出発しましたが、石巻市内の渋滞により、仙台到着は45分遅れ14:50となってしまいました。このため予定のやまびこに乗れませんでしたが、15:00発のはやてに乗車。17:45には北沢タウンホールに到着し、かろうじて地区総会にも間に合うことができました。
17:45 帰着
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○所感
やはり聞くのと見る(経験する)のとでは大違いでした。被災された方の立場からすると不謹慎な言い方になるかもしれませんが、私自身大変良い経験をさせて頂いたと思います。
2泊3日の慌しい現地訪問で、実際に一般家庭のお手伝いができたのは、実質1日のみです。果たして私の力がどこまで役にたてたのかわかりません。しかし、実際に経験して理解できたこととしては、とにかく多くの人手が必要だということです。20人近い大人が一日働いてようやく一軒のお宅の二間の床下の泥が出せただけです。S様のお宅のように外観は全く無傷でも、中は泥だらけというお宅がまだまだたくさん残っています。20人を一日雇ったら大変な金額となります。ボランティアでささえていかなければなりません
作業は力仕事中心ですが、きちんと休憩をとりながら行います。若い人の方が好ましいのでしょうが、私程度の体力でも充分耐えられました。これからも年齢に関係なく多くの人がボランティアにでかけることを期待します
町の様子は平穏です。警察車両も多く見かけ、治安の状況も良好そうに見えます。地震の直後には自販機あらし等もあったという話は聞きましたが、今はあまりひどいことも無いでしょう。若い人が出かけて行っても人間の悪い面を見て、大きく心の傷を受けるということもないでしょう。しかし、津波の跡を見るのは辛かった。流れた家の跡・崩れた家を見ていて、ふと「もしも自分の町だったら」「もしも自分の家だったら」と心をよぎりました。すると涙が自然にあふれてきます。地元団のドームテントを洗っていました。泥の下から「石巻6団ベンチャー隊」の文字が見えてきました。ベンチャーの指導者である私にとっては堪らないことでした。また涙があふれてきました。充分覚悟して行ったつもりでも、気持ちの上で衝撃を受けることが多かったのも事実です。
震災発生からちょうど2ヶ月での災害ボランティアとなりました。現地に行き「もう2ヶ月」と言う気持ちと「まだ2ヶ月」という気持ちが混在して不思議な感覚となりました。石巻河南の高速インター近くにはイオンの巨大なショッピングセンターがあり、駐車場は満車状態で多くのお客さんであふれています。一方そこからたった数キロしか離れていないところでは、津波の跡もなまなましく、まだがれきや破壊された車が撤去されずに置き去りにされています。石巻市内だけでもまだ8,000人近い人が避難所暮らしをしているとのことです。このギャップはどこからでてくるのでしょうか。不思議な感覚ではありましたが、ショッピングセンターがにぎわうと言うことは、人々に活気がでてきているということでしょう。この活気があれば、必ずや石巻はそして日本は復興していくだろうと思います。
そしてその復興のために、これからも何らかの役にたつことをしていくことを自分に命じ、この報告書を終わりとさせて頂きます。
 
以上

2011年世田谷地区BVS合同プログラム

2011年05月25日 (水)

晴天に恵まれた5月15日、世田谷地区BVSは「こどもの国」で合同プログラムを行いました。
プログラムは、サバメシ(サバイバルめし)で、ビーバーが空き缶でご飯を炊きました。
副食は、各団で用意しました。
午後は、みんなでゲームで盛り上がりました。
心配していたケガもなく、とても楽しいプログラムでした。
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サバメシと世界の料理
世田谷11団ビーバー副長 山田孝太

「ビーバーは牛乳パック3箱をはさみで2cm幅の短冊に切ってください。リーダーは350ccのアルミ缶2個を缶きりでふたを開け、1個は4か所にカッターナイフで穴を開けてください。」
4月のビーバーラウンドに続き、サバメシの作り方の説明を行った。地震で電気やガスが止まってもボーイスカウトは恐れず、自信を持ってご飯を炊くことができる、生きていくことができることが分かってくれるかなと思い、ビーバーに説明する。
ビーバー世代の集会は難しい。ましてや世田谷地区のビーバー全員が参加するとなるとなかなか意見が纏まらない。最初に5月15日にビーバーで何かしようということが決まった。若手リーダーがビーバーの成長を50周年行事のある今年も見てみたいを言ったから、僕も同調しようと思った。「料理はどうか。」「100人以上集まれる場所があるのか。」思わず、僕は「こどもの国がある。」と言った。言ってしまった手前、こどもの国に電話してみたら、運良く野外調理場100名分が予約できた。
「ビーバーが火を使って良いのか。」もっともなご意見である。「スカウティングフォアボーイズ」と聞いて、スカウト達はどのような絵を思い出すのだろうか。僕はスカウトがテントの前で野外調理している絵を思い出す。今もそのチーフリングを愛用している。ボーイスカウトはキャンプ、ハイキング、野外調理だと思う。ビーバー世代では何ができるのかリーダーはいつも試されているのだとも思う。最後は地区コミを含めたビーバーラウンドのメンバーがゴーサインを出してくれた。
2年前のカブラリーではこどもの国の一般の方に「スカウトのおかげで場所を追い出された。」とクレームが出た。「雨が降ったらどうする。」またもっともな意見が出る。心配になり、こどもの国に聞いてみる。すると、100名であれば、野外調理場の半分は占有できる。しかも屋根つきだ。これはできそうだと感触をつかんだ。
数度のラウンドと下見を経て、5月15日を迎える。台風一過の晴天だ。11団の副長2人が先発隊でこどもの国の正門前に向かい、集金と受付を始めてくれている。なんと大人の券が足りなくなる盛況ぶり。最終的には小学生75名と大人100名以上と大幅増加。結局人数が増え、野外調理場を完全に占有する。澄み渡った晴天に感謝する。
10時からの開会式。ほぼ予定通りに14の団が集まる。「みんなで大きなわを作ろう」を歌い、輪を広げる。8団のカブがビーバーラリー旗を開いてくれる。僕がビーバーのきまりの順番を間違ったのも愛嬌で、地区コミが東日本大震災と今日のサバイバルメシをうまく説明してくれる。僕は2週間前に習ったばかりのウッドバッジでの開会式を再現する。
サバメシを説明する。14団にも説明戴く。世界の料理が始まる。11団は今日、ビーバーの一人が保護者なしで参加。空き缶はリーダーに手伝ってもらい穴を開けてもらい、紙パックをビーバーが切る。短冊に火をつけ、空き缶にくべ始める。ビーバーは頑張って大人の助けなく25分間短冊をくべ続け、ご飯が炊ける。以前、西宮3団や世田谷11団での集会と同様にビーバーにはサバメシを作る能力と集中力があることを再認識する。
11団はハンターシチューがおいしくできあがる。8団の焼き豚がおいしい。3団のニョッキもうまい。自分の力だけででご飯を炊いたビーバーは目を輝かせている。
1時半よりゲームが始まる。4団の隊長が上手に「森の大工」でゲームを始める。「猛獣狩り」では富士章の新ローバーが水鉄砲等を準備し手伝いゲームは盛り上がる。新ローバーのモルジブプロジェクト発表を思い出しながら、今後の活躍を祈る。「むかでじゃんけん」「カードさがし」でゲームは最高潮に盛り上がる。
最後は地区コミの話、ビーバーラリー旗の降納、「きょうのあつまりもうおしまい」で閉会式。写真を撮り、最後はこどもの国に感謝のみを残す。帰りがけに「無名スカウト戦士の像」を訪れ、ビーバーに説明の上、敬礼して帰宅の途につく。
帰りの電車の中で、ビーバーの生き生きとした顔を見ると、さて次回はどのように進めようかと胸がはずむ。リーダー冥利に尽きる瞬間である。

以上

世田谷地区ベンチャースカウト 訓練キャンプ開催のお知らせ

2011年05月24日 (火)

ベンチャースカウトは自ら企画しているベンチャースカウトのための「訓練キャンプ」を開催します。
これは世田谷地区スカウトフォーラムで皆で決めた、リーダーシップ向上のために訓練キャンプを実施しようというアクションプランに基づくものです。
是非多くのベンチャースカウトの参加を期待します。
なお、申込書の文中ではスカウトから直接申込みとなっておりますが、必ず自分の隊の隊長を経由して指定アドレスまで申し込むようお願いします。

以上
副コミッショナー(VS担当) 安田明


目的:自分の理想とするリーダー像を目指す
目標:リーダーシップを向上するためのプログラムを行う
   地区の交流を深めるためのキャンプを行う
日時:2011年6月18日(土)~19日(日) (6月上旬事前集会)
場所:平和島公園キャンプ場(予定)
内容:イベントを運営することで、リーダーシップの向上を図る
参加費用:2000円(予定) (参加費用は6月7日(火)までに原隊隊長へ渡してください)
参加申込:5月29日(日)までに、参加申込書に必要事項を記入し、メールに添付してお申し込みください。

ともだちパック プロジェクト

2011年05月16日 (月)

ボーイスカウトの子供たちが、自分たちでやれることを考えました。
ともだちパックをつくり、被災地のおともだちにおくります

■作成について
【ともだちパック一人分の内容】
パックのふくろ:ジップロック大のような袋(透明)
メッセージカード一枚:男の子用、女の子用と区別が出来るように上からマジックで青(男の子)、赤(女の子)の線をひく
ノートB5サイズ3冊:小学生の子供の学習に適したもの
えんぴつ3本:えんびつの濃さは、HB〜2Bが望ましい
消しゴム1個:小学生の学習に適したもの
定規:15〜20cm、小学生の学習に適したもの
赤青えんぴつ1本:半分が赤、半分が青になったもの
えんぴつけずり
花の種1袋
お楽しみのもの:袋の上がきちっと閉まるもので未使用
※すべて未使用の品物を準備してください
※メッセージカードが外から見えるように袋にいれてください

「お楽しみのもの」の例)
髪どめなどのおしゃれ用品、歯ブラシ+歯磨きセット、トランプ、クレヨン、色鉛筆、筆箱、小さなおもちゃ、小さなぬいぐるみ、ミニカー、ハンカチ、シール、靴下など何でもよいですが、食べ物や水が入ったもの、くさる物は入れないでください。
自分がもらってうれしいものを入れましょう。
※個人、またはグループで、こころをこめてつくりましょう。


■メッセージカード
【書き方】
1)あて名を「おともだちへ」と書きましょう
2)励ましの言葉を書いてみましょう。長い文ではなくてもOKです
3)カードに絵を書いても良いですね
4)名前とボーイスカウトの地区、団名、学年を書きましょう
※安全のために、連絡先(住所、電話番号)は書かないでください


■発送について
「ともだちパック」を段ボール箱に入れて、発送してください。
数が多い場合は、男の子用、女の子用と別々に段ボールにて梱包してください。
どちらかが分かるように、数と性別を段ボールの外側に記入してください。


■発送先
発送先については、現在日本連盟と調整中ですので、決定次第お知らせいたします。

【活動レポート】世田谷16団 リバイブ・ニッポン・スポンサード・ウォーク

2011年05月11日 (水)

5月1日、世田谷16団ではリバイブ・ニッポン・スポンサード・ウォークを行いました。
スポンサード・ウォーク(チャリティウォーク)とは、歩いて楽しむボランティアです。
スカウトたちは、掲げた目標を達成することでご両親、祖父母をはじめ応援している方々からチャリティをしていただくというものです。

現在、世田谷地区の各団で、東日本大震災における様々な支援活動を行っております。
その他の情報も今後掲載していきます。


リバイブ・ニッポン・スポンサード・ウォーク
Revive Nippon - Sponsored Walk Campaign
by 16th Setagaya Boy Scouts, Tokyo, Japan
ボーイスカウト世田谷第16団では、2011年3月11日(金)の東日本大震災で被災された方々を支援するために、5月1日(日)にスポンサード・ウォークを行いました。ビーバーからボーイ隊のスカウトたちやスカウトの保護者たちが、世田谷公園から北の丸公園を経由し、都内11kmから34kmの距離を歩き、歩いた距離によって募金への協力をお願いするものです。ご協力いただいた募金の全額は、日本赤十字社の「東日本大震災義援金」に寄付します。
5月1日は曇り空で、途中で雨がぱらつく一日でしたが、一人も落伍者が出ることなく、それぞれの隊で目標としていた距離を無事完歩することができました。普段、長距離を歩きなれないスカウトたちにとっても、目標を達成できたことで大きな自信になったことでしょう。スポンサーを募るために、事前にご近所や周りの方に趣旨をご説明し、協力をお願いすることにより、子どもたちも自分たちがスカウトであることの自覚を高め、被災者の方々に思いを寄せる良い機会であったと思います。

一緒に歩いた大人たちも、スカウトたちを励ましながら長距離を歩いたことで、達成感を共有できたことと思います。途中で足が痛くなり、自分のペースで頑張って歩き続けるスカウトの姿にはとても感動し、逆に励まされました。また、歩く道すがら、普段あまり目に止めることのない、都内の名所や歴史的な建造物などを発見するのも、また楽しみでありました。

スポンサード・ウォークは、イギリスのボーイスカウトではときどき行われているものと聞いていますが、日本では馴染みがないため、まずは16団の中で目的意識を共有し、歩くルートを決定するために指導者や団委員、保護者の間で議論や話し合いを何度も何度も重ねました。時間をかけてルートを練り上げたり、地図を作製したり、幟を作成したり、当日の役割分担の調整など、みんなの協力によってこのイベントを成功させることができました。今回多くの方にイベントの趣旨をご理解いただき、スポンサーになって頂けたことも、私たちの大きな励みになりました。16団では、今後もさまざまな機会を通して、被災者を支援していきたいと思っています。


Revive Nippon - Sponsored Walk Campaign
by 16th Setagaya Boy Scouts, Tokyo, Japan

We, the 16th Setagaya Boy Scouts troop, some parents and of course Scout Masters met together in Setagaya Koen at 6:30 on the morning of Sunday May the 1st. We were to complete a walk through Tokyo City of different lengths according to our age group. The Beavers would attempt to walk 11 km, the Cub Scouts would take on a 22 km walk and finally the Boy Scouts should endeavour to walk 33 km.

The idea of this walk was brought up by a parent and was approved by the troop. We would ask as many people as possible to sponsor our effort to walk a distance and ask each sponsor for "n" amount of Yen per kilometre walked.

I personally was very pleased by the generous response by many kind hearted people who were willing to sponsor my kilometres walked, to support the survivors of the March 11th Earthquake and resulting Tsunami.

The walk started at about seven o'clock for our team and we completed it around four thirty. We all completed the course and we all enjoyed the walk. Our team was with a knowledgeable Scout Master (Satoh Taicho) who pointed out many interesting historical facts along the route that had been carefully chosen by a keen runner among the parents.

Judging by my own achievement as far as money coming in was concerned, it was a success and will give a significant amount to those deserving people in the Tohoku area.

If any other Boy Scout Troops are thinking doing something like this, then I must thoroughly recommend the idea of a sponsored walk, because if it is done in an interesting area then you will enjoy it as well as help those people in the devastated area.

Martin Browne

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