メッセージ

1932年 序文

私にも少年の日があった…。
少年の頃一番楽しかったのは、4人の兄弟と一緒に海洋スカウトになって、イングランドの沿岸をあちらこちら旅した時だ。その頃はまだ海洋スカウトはできていなかったから、私たちは正式の海洋スカウトだったわけではない。しかし、私たちは自分の帆船を持っていて、四季を通じてどんな天候の時でもその船で生活もし、航海もし、苦しい時も楽しい時もあったが、押しなべていえば素晴らしい愉快な時を過ごした。

そのあと、学生時代の余暇に、うさぎをとって料理したり鳥を観察したり、獣の足跡をたどったりして、森の中でスカウティングを満喫した。のちに陸軍に入ってからは、インドとアフリカのジャングルで野獣狩りをしたり、カナダで山奥の男たちと一緒に暮らしたりして、限りない楽しさを味わった。それから、南アフリカの軍隊生活におけるキャンプで、本当のスカウティングを経験することができた。

さて、このような生活が非常に楽しかったので、私は「本国の少年たちにも、この楽しさを味わわせたらどうだろうか」と考えた。真に赤い血潮のたぎる少年なら、だれでも冒険と野外生活を熱望していることが私にはわかっていたから、きみたちにその方法を教えようと思ってこの本を書いたのだ。

ところが、この本が出版されるときみたちがすぐにこれを取り上げて、今では世界中に何十万どころか、何百万人のボーイスカウトがいるようになった。本当に辺境で暮らせる人になるのには、言うまでもなくその人たちの使うむずかしい技術や習慣をいくつか覚えなければならない。

この本にはそのやり方の秘訣が書いてあるから、これを研究すれば先生がいなくても自分で覚えることができる。
そして、有能で腕のいいボーイスカウトになる目的は、ただ楽しんだり冒険をしたりするだけではなく、きみたちが憧れている辺境に住む人、探検家、開拓者と同じように、国のために働き、助けを求める人たちに手助けができるような人になることなのだ。これこそいちばんりっぱな人たちが進んでやろうとしていることだ。

真のスカウトは、信用できる人として、どんな危険に直面しても自分の義務を果たす人として、ほかの少年や大人から尊敬されるのだ。きみたちが、このようなりっぱなスカウトになるのに必要なことはすべてこの本に書いてある。だから、早速この本を読んで、覚えたことをみんな実行したまえ。そして私がスカウトの頃に知っていた楽しさのせめて半分でも、きみたちに味わってもらいたいというのが私の心からの願いだ。

ベーデン―パウエル オブ・ギルウェル 世界の総長 スカウティング フォア ボーイズ序文1932年

 

1940年 序文

スカウティングは、いままで一再ならず、多くの熱心家によって教育の革命だとして論述された。けれども、そうではない。それは、楽しい戸外でのレクリェーション、教育のための訓育的な目的をも達するよう求められたレクリェーションとして、冒険的に投げられた単なる示唆にすぎないものである。
それは、学校の訓育への補足になることが出来、学校の正科のカリキュラムに避けられない割れ目を満たし得るものともいえよう。手っ取り早くいうならばウッドクラフトを通じての公民精神学校である。その、割れ目をうめる指導の主題は人格(性格)、健康、及び各個人でする手技と奉仕によって自分の仕事を能率化することから生まれる、公民精神の発展を通じて養われる個人個人の能率という点にある。
これらの主題は、ウルフカブたち、スカウトたち、及びローバーたちの三段階の進歩過程の訓練に適応されている。本書が諸君に示す如く、彼等の発育というものは、主としてキャンピングやウッドクラフトのような、指導者にとっても少年たちにとっても同様に楽しまれるものを通じてなし得られる。実際に指導者が、少年と興を共にするところから、彼等はリーダーとか年上の兄貴とかいう適当な名をつけられ、そして少年たちは、自分が自分を教育しつつあるのである。
これが、スカウティングが教育の革命だと呼ばれる所以であろう。その点では正にその通りである。しかし、それは普通の学枚でなし得る訓育とは違った訓育を狙っているからである。スカウティングは、少年たちに生き方を教えることを目的とする。これはただ、単に食べて生きるのではない。もし他の人々に対する奉仕ということを伝授しないならば、個別指導というものは、少年をして受賞とか奨学資金の獲得などへの野心や、給料、地位への成功に彼を導く危険が横たわるものである。

社会の全ての階層における利己の指数に伴って、我々は一国内に対立が生ずる結果を招いていることに驚かされることがある。即ち、自分勝手な者たちが優越感を巡って、互いに無法な敵手となり合い、同じことが徒党や政党、宗教宗派や社会階級にもあって、全てこれらは挙国的利益やー致への損失となるものである。
であるから、スカウト訓育の狙いは利己を奉仕に置換えるのである。そして、若者たちの個々の道徳的、肉体的の能力というものを地域社会への奉仕のために用いることに目標をおいたのである。とはいえ、このことは単なる兵隊や海員のサービス(勤務)を意味するものではない。我々は、この運動に軍事的な目的や訓練をもたないのである。人間同士に対する奉仕という理念だけである。言葉を変えれば、我々は日常の生活や交際に、キリスト教信仰の実習をすることを目的としたもので、毎週の日曜日にだけ神学的な告白をするのではないのである。
現在に至る31年間のスカウト運動の顕著な成長は、その推進者並びに外部からの支持者たちの共に驚くところである。小さい一つのキャンプに発足し、そして本書もまた1908年のキャンプから生まれたのだが、この運動がなんら政府の補助金なしに自力で成長し拡大して、今日(1938年)までに、英本国で460,234人、大英帝国としては1,009,671人の加盟員をもつに至った。

これは二つの点に帰する。第1は、スカウティングが少年たちを魅了すること、第2は我が国の教育が自我中心に向って誤り導いていたに拘わらず、世の男女成人たちの間に潜在していた生来の愛国心の容量のためである。即ち社会の各階膚からの79,000人を超える人士が、有志(ボランティア)として一団を形成し、その時間と労力とをこの運動に捧げ、少年たちが善良な公民となるのを助けることに満足する以外に何らの報酬をうけないということからである。
教示は実例を以ってなされ、少年たちは即刻奉仕について学ぶが、それは、スカウトマスターによってなされる実例による説明が彼等の面前に示され、その場において学ばれるからである。かような訓育の効果というものは、充分な助力者の手によってなされる限り幸福にして健康な、そして有能な公民を作ろうとする、全ての期待を達成して余りあるものである。

これらリーダーたちの意図は、単に見込みのある少年たちだけを助けるのではなく、もっと特に純な少年たちをも助けるところにある。我々はこのような少年に生活の喜びや、同時にある種の属性及びある機会を出来のよい兄弟が与えられているものと同様に与えてやりたい。そうすれば彼等は少くとも生涯において公平なチャンスを得るにちがいない。
諸外国においても、スカウティングの有用さを認めること速かなものがあった。そして本書の与える線に沿うて、その国々の特質に従って採用され、発展していった。その結果今やボーイスカウト兄弟愛は全世界にひろがり、現在約3,305,149人のメンバーをもち、同じちかいと同じおきてのもとに、同じ理念で活動している。相互に兄弟と考え、手紙を交換したり訪問したりしてお互いに知り合おうとしている。これは相当大規模になされている。

この丈夫に育った兄弟愛が近い将来にもたらす成果について、広汎にわたる国際的可能性を予見するには大した想像を必要としない。国際連合はそれが批判されている如く、魂のない立法機関としてここ当分の間は行くだろう。しかしその背後にある国々の未来の公民の間に、個々に結ばれた友情の精神と善意の寛い心とはそれに魂を入れるだけでなく、将来の国際戦争の危機に対しても、尚強い保険を立証するであろう。これは一見迷夢であるかに思われるが、たとえ迷夢であってもよろしい。このささやかな本書が300万人を超えるボーイスカウトたちの兄弟愛を結果づけ、約1,444,000人のガールガイドたちに姉妹愛を交信させる結果に今日なっていることを、30年前に誰が予想したことであろうか。
だが、それだけではない。

それに加うるに、もし成年の男女がこの仕事の推進に一層彼等の分担を励むならば、このような見方は可能性の限界を超えた妄想ではなくなるのである。いとも小さい海の虫の協力でさえ、珊瑚礁の島を形作るにいたる。善意と協力の働くところ、大きすぎるという企業はない。我々は毎日毎日、少年たちがこの運動に加入することから外れるのを心配している。それは、少年たちをつかんでいる成年の男女が少ないからである。ここに、今日我が国民の間に眠っている愛国心とキリスト教徒精神とに訴える莫大なものがある。そしてそのことを訴える直接的な機会が得られないことが、その主な理由である。しかしこの楽しい兄弟愛には莫大な機会があって、その機会は幸福な仕事の全面に開かれており、その仕事とは諸君の手によってその結果が示されるものであり、そしてそれは彼の仲間や神のための奉仕の機会として万人に与えられているという理由によって、やり甲斐のある仕事なのである。
昔、ソクラテスは次のようにいったが、その言や真実である。
『自分の子どもだけでなく、他人の子どもにまでも、正しい教育をしようと心を砕く人にまさる善い目的に向って進む人は、この世にいない』

 

1963年 まえがき

スカウティング フォア ボーイズはいつの時代にも役に立つ本です。
この本は、創始者の存命中、すでに世界のほとんどすべての国で用いられていました。
環境や状況の変化に応じて、プログラムと活動の細部は常に変えていかなければなりませんが、この本の精神と基本的要素とは、時代に関係なく、世界中どこにでも適用できるものです。また、創始者の後に続く私たちはこの本に書かれていることを大切に守り、たとえ様々な状況とニーズにこたえて応用や修正はするとしても、スカウティングの本質が、この本の中から失われないようにしていかなければならないのです。

この本に載っているゲームや練習についての視差は、書かれてから56年たった今日でも、使うことのできるものがたくさんあります。しかし、そのことよりも大切だと思われるのは、教授科目をそのまま表に出さず豊かな想像力をもって、ここに示唆されている活動の形に表していくことです。この運動がこれまでに成し遂げた成功の秘密は、アイデアを形に現した方法にあるのであって、単に活動の各細目にあるのではないことを忘れてはならないのです。

創始者が書き残した言葉の一つ一つに真理がこもっています。真理は一つの世代や一つの国に限られたものではありません。
創始者の偉大な才能が作り上げ、私たちに残した道しるべをどのように活用し、たいせつにし、維持し、後世に伝えるべきかを示す手引書がスカウティング フォア ボーイズです。私たちがこの道しるべを純正に簡潔なままに、またその精神に沿って生かすことができたなら、それはあらゆるところ、あらゆる世代の少年のニーズにこたえられるでありましょう。
オラーブ・ベーデン‐パウエル ガールスカウト世界の総長(ベーデン‐パウエル卿夫人)スカウティング フォア ボーイズまえがき1963年

 

ベーデン‐パウエル卿からの最後の手紙

スカウト諸君
「ピーターパン」の劇を見たことのある人なら、海賊の首領が死ぬ時には最後の演説をするひまはないに違いないと思って、あらかじめその演説をするのを、覚えているだろう。
私もそれと同じで、今すぐ死ぬわけではないが、その日は近いと思うので、君たちにわかれの言葉をおくりたい。これは、君たちへの私の最後の言葉になるのだから、よくかみしめて、読んでくれたまえ。

私は、非常に幸福な人生を送った。それだから、君たち一人一人にも、同じように幸福な人生を、歩んでもらいたいと願っている。
神は、私たちを、幸福に暮らし楽しむようにと、このすばらしい世界に送ってくださったのだと、私は信じている。
金持ちになっても、社会的に成功しても、わがままができても、それによって幸福にはなれない。
幸福への第一歩は、少年のうちに、健康で強い体をつくっておくことである。そうしておけば、大人になった時、世の中の役に立つ人になって、人生を楽しむことが出来る。
自然研究をすると、神が君たちのために、この世界を、美しいものやすばらしいものに満ち満ちた、楽しいところをおつくりになったことがよくわかる。

現在今与えられているものに満足し、それをできるだけ生かしたまえ。
ものごとを悲観的にみないで、なにごとにも希望を持ってあたりたまえ。

しかし幸福を得るほんとうの道は、ほかの人にも幸福を分け与えることにある。
この世の中を、君が受け継いだ時より、少しでもよくするよう努力し、あとの人に残すことができたなら、死ぬ時が来ても、とにかく自分は一生を無駄にすごさず、最善をつくしたのだという満足感をもって、幸福に死ぬことができる。
幸福に生き、幸福に死ぬために、この考えにしたがって、「そなえよつねに」を忘れず、大人になっても、いつもスカウトのちかいとおきてを堅く守りたまえ。
神よ、それをしようとする君たちを、お守りください。

君たちの友  ベーデン-パウエル オブ・ギルウェル 1941年没後、発見された